女30代独身、忘れたいけど備忘録。

沖縄移住に恋愛に、毎日ひっしのぱっちで生きています。

いざ沖縄移住⑤ 30歳の忘れ物編

 いよいよ30歳が終わる。
30歳以上の社員が年1回会社から無料で権利を得る、
「人間ドック」を受けました。
30歳になったら絶対受ける約束。

 


その前年、私の事を誰よりも気にかけてくれ、
誰よりも回りの人から愛された先輩が
44歳の若さで亡くなりました。
仕事に遊びに全てが全力。
回りの人を大切にしすぎるあまり、
自分の事だけ犠牲にしてしまう先輩でした。
体調が悪いと病院にかかってすぐでした。

 

人間ドックは、
私の通常運転では「仕事が忙しい」と流すところでしたが、
先輩の仕事と想いを全力で引き継ぎ続けるために、
人間ドックは必ず受けよう…と同僚たちと約束しました。

 


はい、やってきました、ウワサの人間ドック!
女性の私は無料オプションで婦人科検診を添えて。

 

全員お揃いの服を着て、ずらずらと分刻みで部屋を回る。
いい仕事しているな~、と充実感すら味わえました。

 

気になることはひとつだけ。
20代前半から高血圧で薬を飲んでいました。

そこだけだったはずが、
婦人科のエコー検査で先生方が
「あれ?あれれ?あー。あーね。」と。
それまで噛みしめていた充実感を苦くする反応。


その後は、あれよあれよと仕事の合間に病院通い。
人間ドックの翌月には入院をして手術を受けていました。
31歳の誕生日の翌月でした。

 

そんなに急ぐ必要もなかったんですが、
仕事のスケジュールと手術予約が奇跡的に合い、
腹腔鏡下手術で右の卵巣嚢腫を摘出しました。

 

ねん転すると悶絶するほど痛いらしい卵巣嚢腫ですが、
痛くも痒くもない内に摘出する事ができ、
同じ手術を受けた患者が手術後体調不良を訴え続ける中、
私は麻酔との相性が良かったのか
わりにサクッと自分でトイレにいけるまでに回復し、
退屈な入院生活をおくっていました。
→他の患者は彼氏や旦那に手を握られ吐き気に耐えていましたが、
 私は自力でベッドの柵を握り声を殺し耐えました。笑
 そんな私を神様がちょっと贔屓してくれました。(余談)

 

入院前に決めた事が「病院では絶対に仕事をしない!」。
PCも会社支給のスマホも全て家に置いてきて、
「こんな時だから」と有料の個室にアップグレード(?)し、
友人に借りた「進撃の巨人」と吉田修一の「怒り」を
読み続けました。(本のチョイス!笑)
暇も悪くはない。

 

「個室にして正解やったわー」
「個室高いけど、一生懸命仕事して貯金もあるし」
「…あれ私なんでそんな一生懸命仕事してたんやろ」
「え、この個室に泊まるために仕事してたって事?」

 

はい。暇人が典型的な謎ループに陥っています。
これは卵巣嚢腫以上の重症です。

 

「病気の苦しみ」と「個室の解放感」

「仕事のプレッシャー」と「仕事のやりがい」

それぞれ品を替えては天秤で量り続けた結果、

「一生懸命仕事をして得たもの」
=「病気になって個室でのんびりする時間」

そんな公式まで導き出してしまっていました。

 

「仕事は手段であって、

 必死になっている自分に酔って気持ちよくなりたいだけ」

そう割り切る事ができれば沖縄移住はなかっただろう。

 

仕事への向き合い方や構え方がかわったのは、
この入院がきっかけでした。

 

そして退院後、会社復帰するまでの数日間に

私はある運命的な出会いをし、
その出会いをきっかけに「沖縄移住」することとなります。

 


【次回への備忘録】
出会いから移住までを書く。やっと沖縄登場!