女30代独身、忘れたいけど備忘録。

沖縄移住に恋愛に、毎日ひっしのぱっちで生きています。

沖縄生活① やってきました!沖縄!

やってきました!沖縄生活編です!

 

会社を退職して1カ月。

→ 厳密には有給消化中。

実家に帰ったり会えていなかった友人に会って回ったり、

送別会をしてもらったり、、、

そして、住み慣れた家の引き払い。

この時の私は、「会社を辞める」という偉業を成し遂げて、

友人からも別れを惜しまれる自分に酔っていました。

 

余談ですが、どれくらい酔っていたかというと、

自分をモデルにしたサントリーの角ハイボールをマネた団扇を製作して配るほど。

ダイエット時は糖質0のハイボールに助けられ、

ハイボールといえば私・・・くらい勘違いしていました。笑

(サントリー様、井川遥様、勝手な事してすみません。)

撮影とデザイン制作は勤めていた会社の仲間にタダでして頂き、

印刷はネットで安いことろを探して6万円程で製作枚数500枚。

私の代理店人生の集大成・・・最高傑作でした。笑

 

そして、沖縄の梅雨が明けた頃、私は那覇市民となります。

大阪の区役所に転出届を出した時、待合スペースのテレビでは

桐谷健太三線を弾きながら「海の声」を唄っていました。

「私の沖縄移住は運命だ!」

まだまだ完酔いしれています。

 

荷物のほとんどは船で送り、トランク1つで沖縄に行きました。

「大阪を離れる...」という実感はなく、

いつも通り沖縄旅行にいく、くらいの軽い気持ちで飛行に乗り、

移住ってこんなものか..と冷静に考えていました。

→これから待ち受けること知らず・・・WW

 

沖縄では契約した家に拓哉くんが住んでいました。

大阪から船便で送った家具や荷物はまだ届いておらず、

内覧の時と変わらないガランとした普通の3LDKの部屋でしたが、

ただニオイが違うというか、自分の家だという実感がありませんでした。

「お邪魔します」って感じで家に入ったのを今でも覚えています。

 

 

● 拓哉くんに貸したお金
 現在のトータル→260万円

 
【次回への備忘録】

2人の沖縄生活を書く。

いざ沖縄移住⑨ 移住への執念編

那覇で家探しのスタートです!

と、その前に拓哉くんが最近通っているというミュージックバーに行くことになりました。

たくさんの外国の方…フロアで踊るパリピの皆さん…
私はいよいよ始まろうとする沖縄生活を感じクラブミュージックに合わせて心を踊らせていました。


そこで一人の観光客の男性と知り合い3人で飲むことになります。
私と拓哉くんに挟まれて座る彼。
両側からスレンダーな身体をベタベタ触られます。

→お酒の力って怖いですねー…

さぁ帰ろうかー、となったとき拓哉くんの姿が見当たりません。
仕方がないので彼と2人で店を出て歩きながら話をしました。

彼は最初、私と拓哉くんをカップルだと思い3P(笑)のお誘いを受けていると思ったそう。
ただ、明らかに拓哉くんから自分に掛けられる言葉やセクハラの数々に違ったものを感じ始め、
『拓哉さんってゲイですよね?2人ってどういう関係なんですか?』
…と、ぶつけられます。

ま、そうですよね。

私は、拓哉くんがゲイであること、ゲイバーで知り合ったから最初からそれを知っていること。
そして、全て引っくるめて彼氏彼女にはなれないけど、家族のような関係になりたい…と彼に説明しました。

→完全に酒と美談に酔っていました。
 恥ずかしい…

その時、後ろから大声で怒鳴られました。
『全部聞いたからな!!』
拓哉くんです。

拓哉くんは必死に何かを叫びながら走り去っていきました。


私は現状を理解できず、出てくれない拓哉くんの携帯に何度も電話しました。
数時間後やっと出てくれた電話でも何を言ってるのか分からない程、理性を失って怒鳴り続けていました。

どうやら、自身がゲイであることを私の口から言われた事が、本当に嫌だったそう。
とっくに彼は気付いていたのに…と思いましたが、
ゲイの拓哉くんと私。
どれだけ言葉を交わして時間を共有しても、私には拓哉くんが本当に抱える、そういった部分を理解することはできていませんでした。


拓哉くんの怒る姿を初めて見て、
沖縄移住を取り止めようか…とも考えましたが、
会社を辞める理由である以上、もう皆に言ってしまった以上、それは無理。

『精神的苦痛を受けたから慰謝料を請求する』など言い出している拓哉くんに謝り謝り謝り続け何とか許しを乞い、
一緒に不動産に行き、家が決まります。


会社を辞める理由である以上、
まわりの皆にも言ってしまっている以上、
何があっても沖縄に移住する…私の執念です。

この時に拓哉くんとの関係に見切りをつけて大阪に残っていたら、今頃どうなっていたんだろう…?


ミュージックバーで知り合った彼には、私と拓哉くんのいざこざを見せてしまい、
彼のせっかくの沖縄旅行に申し訳ないことをしたと思っています。



● 拓哉くんに貸したお金
 現在のトータル→300万円 (チャリーン¥)

→ これから2人で住む家は折半になったので、初期費用の半額が加算されました。


【次回への備忘録】

沖縄生活のスタートです!

いざ沖縄移住⑧ 博多旅行編

ゴールデンウィーク
いよいよ退職を1か月前に控え、沖縄に家探しに行くことになりました。

その前に、せっかくだから…と、拓哉くんと博多旅行しよう!となります。

拓哉くんは20歳そこそこの慎吾くんという男の子を連れてきました。
慎吾くんは那覇のお土産物屋でバイトをする沖縄の離島出身の若者。
居酒屋で知り合い意気投合。
拓哉くんは慎吾くんの可愛さにノックアウト、バイト生活でお金のない慎吾くんを養うことに決めたそうです…

→養う????何を言ってるんだ!?笑
→現に彼の食費や生活費はほぼ支払っているそう。
 遠退くたこ焼き屋の出店……


そうです。拓哉くんがゲイな事と私からお金を借りて生活している事はぜったい秘密。
前日にしっかり釘を打たれていました。


慎吾くんも、なんというか私にとっては新人類。

沖縄の男の子は人懐っこいといいますが、拓哉くんの下心に気付いてかどうなのか甘えまくり。
養ってくれるという事におんぶにだっこ。
5000円弱の全財産を持って来て、お茶の1本もタバコの1箱も拓哉くんに買ってもらいながらの旅行。
飲み食いのお金は私が全て支払っていても全く気にしない様子でマイペースに過ごしていました。

そして3人で那覇に。いよいよ家探しです。

その感、ひとつ私にとっては重大な事件が起こります。


余談ですが、
その後、慎吾くんには付き合っている彼女がいて、その彼女が妊娠をしていることが判明、2人は結婚します。
拓哉くんが荒れ狂う姿に私は笑いを堪えるのに必死でした。



● 拓哉くんに貸したお金
 現在のトータル→260万円 (チャリーン¥)

→ 博多旅行、拓哉くんと慎吾くんを2名分の旅費が加算されました。


【次回への備忘録】

家探しのいざこざを書く。

いざ沖縄移住⑦ ついに移住編

拓哉くんが沖縄に行きました。150万円を持って。

 

それからも、ほとんど毎晩ラインで連絡を取り合い、
電話で沖縄の気候や街の様子、
あとは、お店の出店にむけて物件を探し回っているなどの
近況を聞いていました。
大阪で一人暮らしを始めたばかりの私が、
親に大学の様子や友達の事を電話していたのに似ていました。

 

 

これまで私は一度しか沖縄にいったことがなく、
せっかくなので1泊2日の弾丸で、
拓哉くんのいる沖縄に行ってみることにしました。

 

空港まで迎えにきてくれて、観光スポットを回って、
海で泳いで、沖縄料理を食べて。
もちろん財布を出すのは全て私。
でも、これもそれも拓哉くんのたこやき屋出店のため。

 

それからも月1回ほどのペースで沖縄に通いました。

 

私と拓哉くんの間で変わったことといえば、
「好きな男ができた」等、そっち方面の話題を
彼が遠慮なく私に言い始めたこと。
最初は「へ~」くらいのものでしたが、
だんだん私が知らない拓哉くんの顔に嫉妬し始めていました。
それと沖縄への移住の誘いが頻繁になったことでした。
たこやき屋の出店は、
なんやかんや言いながらまだまだ先のご様子。

 


共通の友人から
「拓哉には前科があるから、すぐに離れたほうがいい」とか
「知り合いに金を借りて、踏み倒そうとしている」など
拓哉くんの悪い情報が私の耳に入るようにもなりました。

 

本来であればすぐに離れるところ、
この時、拓畜道をアクセルベタ踏みで走っている私は、
「私が拓哉くんを守らないと!」
逆に燃え上がり拓哉くんに真相を確かめました。

 

前科の事、友人に借りているお金の事、全てを打ち明けてくれました。

前科は友達に嵌められた。友人から借りているお金は10万円。

急いで、私が貸したお金の中から友人にお金を返済させた。

私の説得で。←ここ大事。

気分もアゲアゲ絶好調です。

 

 

そんな時、会社でのこと。

新しく出来た上司に自分が長年取り組んだ仕事を否定される
出来事がありました。
それは私が「社畜」として、28歳~31歳自らの全てを犠牲に
取り組んでいた案件でした。


「あ、もう終わらせよう」

プツっと10年間張り続けていた気持ちの糸が切れ、
ボールペンも持てないほど体の力が抜けていました。

 

ただ、元「社畜」であった以上、
変わらぬ顔だけをして当たり障りなく働いている自分自身に、
「目の前のひとつの事を必死に取り組む事」が美学の私は、
違和感も感じていました。
こういう日が来ることを待っていた気もします。


次の日、会社を辞めたい意向を上司に伝えました。
会社の仲間の事は大好きだったため引き留めてくれた仲間には
心苦しさもありましたが、独身30代女に二言はありません。
「私、沖縄に移住するので仕事辞めます。」

私が月1で沖縄に通っていることは、
会社の仲間たちも全員が知っていました。
それぐらいぶっ飛んでいる方が、皆「お前らしいな」と
笑って送り出してくれるかな、それだけです。

 

拓哉くんのことを沖縄で支えたい気持ちを、

会社を辞めるための理由にした、そんな風に思っています。

 

3か月後、
私は本当に退職し、本当に沖縄へ移住しました。

 


● 拓哉くんに貸したお金
 現在のトータル→250万円 (チャリーン¥)

→ あ、100万円の追加融資がありました。

 

 

【次回への備忘録】

沖縄移住前に起こった出来事を少しだけ書く。

いざ沖縄移住⑥ 運命の出会い

無事に退院をし、2週間の自宅療養。
身体の調子もだいぶよくなってきたところで、
近くの飲み屋で出会ったお姉さんが
「復帰祝いで男前がいるところに行こう!」と
連れ出してくれました。

 

そこは薄暗いゲイバーで、
サラリーマン同士の摩擦臭とは違い、
甘い香りが店中を包んでいました。
少したって一人の男性が現れます。
「拓哉くん」の登場です!

 

→ はい、ここから沖縄移住が加速します。

 

拓哉くんはお姉さんの元々の知り合いで、
それから朝まで一緒に飲みました。
整った顔立ち、鼻にかかった声、清潔な白いシャツ、
すぐにクギ付けです。

 

朝方一緒に帰り、簡単な自己紹介をしました。

 

拓哉くんは、
私より6歳年上で大阪生まれ。
少しばかり有名な音楽大学でオペラを専攻しNY留学、
そこから世界で歌を唄ってきた。
数年前に亡くなった父親の会社を継いだが、
不況の煽りですぐに畳み、海を求め沖縄に移住。
しかし数カ月前に病気をしたことで帰阪。
今は私の家から近い場所でたこ焼きバルを営んでいる。
そして、恋愛対象は「男性」とのこと。

 

部畜から社畜に進化を遂げただけの私には、
眩しすぎるプロフィール。
彼の横顔に降り注ぐ朝焼けよりも輝かしい。

 

「羨ましい」気持ちが「憧れ」になり、
「憧れ」を「恋」だと思い、
そんな拓哉くんに恋をすることで、
自分のプロフィールも輝かしいものになるだろう。

そう思っていました。

 

そして私は、拓哉さんの【虜】というより【畜】となる。
私は「社畜」から「拓畜」(拓哉畜)へと華麗に進化を遂げた。

 

会社に復帰してからも、
夕食は、週1、3日に1回、ついには毎日一緒にいました。

 

「目の前のひとつことに必死である事が美学」の私。
社畜と拓畜の共存ができるはずもなく。

この頃、何の仕事をしていたのかほとんど記憶にありません。

 

2カ月ほどたった時、
拓哉くんは「沖縄に帰ってたこ焼きバルを営みたい」と泣き、
そして出店費用を貸して欲しいと頭を下げました。
拓哉くんがお金に困っていることは気付いていたし、
そういう流れになる事をずっと前から知っていた気がして、
そう言ってくれる事を少し期待もしていました。

 

私は150万円を拓哉くんに渡し借用書にサインを貰いました。
「初めての大きな買い物」の感覚でした。

 

振り返ると、「一生懸命働いている事の意味」を
「病院の個室で過ごす時間」から「大切な人の夢のため」へと
塗り替えたかったんだろう…
→痛い、痛すぎて思い出すのも辛い。。。

 

拓哉くんは「ありがとう」とは言わず「本当に助かる」と言って
私が一生懸命働く意味を持って1人沖縄に移住しました。

 

 

● 拓哉くんに貸したお金
 現在のトータル→150万円 (チャリーン¥)

 

 
【次回への備忘録】
私の一人沖縄旅行と退職を書く。

いざ沖縄移住⑤ 30歳の忘れ物編

 いよいよ30歳が終わる。
30歳以上の社員が年1回会社から無料で権利を得る、
「人間ドック」を受けました。
30歳になったら絶対受ける約束。

 


その前年、私の事を誰よりも気にかけてくれ、
誰よりも回りの人から愛された先輩が
44歳の若さで亡くなりました。
仕事に遊びに全てが全力。
回りの人を大切にしすぎるあまり、
自分の事だけ犠牲にしてしまう先輩でした。
体調が悪いと病院にかかってすぐでした。

 

人間ドックは、
私の通常運転では「仕事が忙しい」と流すところでしたが、
先輩の仕事と想いを全力で引き継ぎ続けるために、
人間ドックは必ず受けよう…と同僚たちと約束しました。

 


はい、やってきました、ウワサの人間ドック!
女性の私は無料オプションで婦人科検診を添えて。

 

全員お揃いの服を着て、ずらずらと分刻みで部屋を回る。
いい仕事しているな~、と充実感すら味わえました。

 

気になることはひとつだけ。
20代前半から高血圧で薬を飲んでいました。

そこだけだったはずが、
婦人科のエコー検査で先生方が
「あれ?あれれ?あー。あーね。」と。
それまで噛みしめていた充実感を苦くする反応。


その後は、あれよあれよと仕事の合間に病院通い。
人間ドックの翌月には入院をして手術を受けていました。
31歳の誕生日の翌月でした。

 

そんなに急ぐ必要もなかったんですが、
仕事のスケジュールと手術予約が奇跡的に合い、
腹腔鏡下手術で右の卵巣嚢腫を摘出しました。

 

ねん転すると悶絶するほど痛いらしい卵巣嚢腫ですが、
痛くも痒くもない内に摘出する事ができ、
同じ手術を受けた患者が手術後体調不良を訴え続ける中、
私は麻酔との相性が良かったのか
わりにサクッと自分でトイレにいけるまでに回復し、
退屈な入院生活をおくっていました。
→他の患者は彼氏や旦那に手を握られ吐き気に耐えていましたが、
 私は自力でベッドの柵を握り声を殺し耐えました。笑
 そんな私を神様がちょっと贔屓してくれました。(余談)

 

入院前に決めた事が「病院では絶対に仕事をしない!」。
PCも会社支給のスマホも全て家に置いてきて、
「こんな時だから」と有料の個室にアップグレード(?)し、
友人に借りた「進撃の巨人」と吉田修一の「怒り」を
読み続けました。(本のチョイス!笑)
暇も悪くはない。

 

「個室にして正解やったわー」
「個室高いけど、一生懸命仕事して貯金もあるし」
「…あれ私なんでそんな一生懸命仕事してたんやろ」
「え、この個室に泊まるために仕事してたって事?」

 

はい。暇人が典型的な謎ループに陥っています。
これは卵巣嚢腫以上の重症です。

 

「病気の苦しみ」と「個室の解放感」

「仕事のプレッシャー」と「仕事のやりがい」

それぞれ品を替えては天秤で量り続けた結果、

「一生懸命仕事をして得たもの」
=「病気になって個室でのんびりする時間」

そんな公式まで導き出してしまっていました。

 

「仕事は手段であって、

 必死になっている自分に酔って気持ちよくなりたいだけ」

そう割り切る事ができれば沖縄移住はなかっただろう。

 

仕事への向き合い方や構え方がかわったのは、
この入院がきっかけでした。

 

そして退院後、会社復帰するまでの数日間に

私はある運命的な出会いをし、
その出会いをきっかけに「沖縄移住」することとなります。

 


【次回への備忘録】
出会いから移住までを書く。やっと沖縄登場!

 

いざ沖縄移住④ 気付けば30歳編

そんな私も30歳を迎え、急に危機感を覚えました。
(はい、よくあるやつです。笑)

 

普通は30歳になるまでに…と考えるべきところ、
私は少しだけ目の前の仕事にいっぱいいっぱいで、
すっかり後回しになってしまいましたが、
31歳になるまでに何かを有言実行しようと考えます。

 

これしかありません。
最も尊く、人類♀永遠のテーマ「ダイエット」

 

大学時代の友人から話を聞いて、
当時まさに飛ぶ鳥を糖質ゼロの焼鳥(塩)で食らう勢いのライザップ...
ではなく、別の食事制限と運動を取り入れたプライベートジムに入会。

 

31歳の誕生日までの3カ月で10キロのダイエットを決意!

 

1キロ減量にあたり2.5万円程の計算になるお金を支払い、
取り組みました、スクワット。
自炊もしました、糖質制限
のめり込みました、ダイエット!

 

目標体重への減量に無事成功し、30歳を終えようとしていました。

 

有言実行で始まった30代。
「これで安泰だろう、、、」
そんな安心も束の間、怒涛の30代の幕開けです!

 

ぶお―――おお――――」 by.ホラ貝

 

 

【次回への備忘録】

30歳から31歳へのつなぎのパートを書く。